武道家FP GUNちゃんの“家計の護身術”ブログ
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2007年10月12日 (金) | 編集 |
10月5日 練馬に住む、母方のばあちゃんが亡くなりました…

95歳。世間的には大往生ということなのでしょう。

初七日が終るまでは、ブログも書かないようにと思っていました…
喪に服すという事でもないのですが…

ばあちゃんの家と私の家が近かったので、小さいうちから母親に連れられて、ばあちゃんの家によく行きました。
母方では私が初孫だった事もあり、ばあちゃんも大そう可愛がってくれました。
私は覚えていないのですが、私をおぶって近所中を歩き回り「娘の子供なんですよ」と言って歩いてたそうです。

私が来る事を知ると、必ず私の好きなメロンが買ってありましたし、「○○が美味しかったといえば」次には必ずそれが買ってありました。

また、孫が増えても初孫の特権なのでしょうか?
孫達にばあちゃんがお小遣いをくれるのですが、私だけ後でこっそり呼び出されて、先のとは別にお小遣いをもらうことも一度や二度ではありませんでした。

親戚からも親からも「ばあちゃんは、孫は雄一が一番可愛いんだよ…」なんて言われていて、真偽の程は分かりませんでしたが、そう言われる自分が照れくさくもあり、自慢でもありました。

大人になっても同じで、私の母親がばあちゃんの家に行くと、「雄一はメロン好きだったから…」なんて言って、よくメロンを持って帰ってきました。
子供の時ほどは食べなくなりましたが、それでもばあちゃんにとってはそういう印象が残っていたのでしょう。

また、初モノが好きで松茸なんてン十万もするヤツを買っちゃって、持たせてくれちゃうんだから…

花が好きで、庭に色々な花を植えていて、ほおずきの笛を作るのも良く一緒にやったなぁ…
寝たきりになった時に「また庭の花を見れるようにならないと!」って励ましたりもしたんだよなぁ。

そんな思い出がいっぱいあるばあちゃんでした。

私が生まれた時には、両親のじいちゃんは他界しており、父方のばあちゃんは石川県輪島市だったので、殆ど行くことはなかったんです。(私が高校生の時に他界)
やはり、近くにいてよく会うばあちゃんには、気持ちも思いいれも違いました。
ましてや、先に書いたように可愛がってもらえれば尚更でした。



昨年の4月下旬
ばあちゃんに黄疸が出たので、病院に連れて行く手配をするけど、とにかく病院嫌いのばあちゃん、入院させられると思ったらしく、自分の子供達に怒鳴って大変でした。

その時、私も一緒にばあちゃんの家に行ったので、怒っているばあちゃんに私からばあちゃんに
「ばあちゃん、検査だけだから、入院するかどうかは分からないし、なんでもなければ今日帰れるよ」
と言ったんです。
そうしたら
「今日帰れるの?そうなの?」
と、態度が軟化したので
「そうだよばあちゃん、帰れるって!」
と説得しながら、一気に担架で運んだのを思い出します。

まぁ、医者に行けば原因が分かってすぐにホッとできると思っていたのですが…

胆管癌の疑いがある…との診断だったそうです。
ただ、ばあちゃんはとにかく医者嫌い。
採血するのもやっとだったというから、本当に癌かどうかの調べる検査を嫌がって…
そのまま退院となりました。

本当に胆管癌であれば、余命はもって2~3ヶ月といわれ、処置の方法もないといわれたそうです。
それなら、病院嫌いのばあちゃんだから、自宅の方がいいだろうということで、退院させた訳ですが…

5月が過ぎ、6月も過ぎ…
黄疸も取れて、すっかり綺麗になってます。
8月に入って、ばあちゃんの誕生日を迎えることが出来た。
その時、94歳。

おいおい、あの医者の診断本当なのかよ?
私の従弟が医者なので聞いてみると「もし胆管癌なら、みるみる衰弱するから、数ヶ月も生きられないと思うけど…」って言ってたしなぁ…

でも、ばあちゃんが生きているなら、それでいいじゃん!ということで、いつ来るか分からない“その時”を見守る形になりました。
準備はしておくけど、なんでもなければ、それはそれで良い訳だから…

そんなこんなで、誕生日どころか年越しまでばあちゃん元気に迎えちゃって!
気が付けば、診断を受けてから1年も経過してました!

母や伯父(叔父)さん達は、不思議がりながらも現在の結果を喜んでいる様でもあり、私も少し楽観視し始めていました。

で、今年の8月は無事95歳の誕生日を迎えます。
「ばあちゃん、95歳だねぇ!」なんて、言ったら「ニコニコしていた顔をいまでも思い出します…

私は、昔からの習慣で、月に1回くらいはばあちゃんの家に行っていたんですが、今年の敬老の日に行ったら、黄疸がまた出始めている。
心配でしたが、食欲はあったし、定期的に診療に来ている先生からも何もないようなので、そのまま様子見るしかありませんでした。

そして、翌週。
お彼岸だったので、お墓参りした後に、ばあちゃんの家に行ったら、先週より顔が黄色くなっている!
食欲もなくなっている感じで、たまにボーとして、私達がいると絶対に眠らなかったばあちゃんが眠そうにしている。
でも、紙風船で遊んだりして動いていたので、少し安心して帰る。

そして、10月1日月曜日。
入院している母親から、夕方連絡が入る
母「今日これからの予定は?」
私「仕事があるけど?」
母「おばあちゃん危ないらしくて、自宅診療の先生が“会わせておきたい人がいたら今日中に呼んでください”と言ってるみたいなんだよ。いまからお父さんと行ってくるよ」
私「うん、分かった」
とうとうその時がきてしまったか…
動揺しつつ、仕事に向かう。

火曜日。
前日、仕事でいけなかったから、私も心配なのでばあちゃんの家に行ってみる。
確かにボーとしちゃって、息遣いも気持ち荒い…
でも、呼びかけには反応するし、帰る時に私の妹が声を掛けたら「頑張るよ!」って言っていた。
いやな予感がするけど、何も出来ない、イライラする…

カミさんが、私の父親の病院診察にに付き添うため、金曜日休みをとっていたので、その後にばあちゃんの家に行こうと決めていました。
※そう考えると、うちの両親も入院したりなんだりで大変なのよねぇ…

で、10月5日金曜日。
ばあちゃんの家まであと少しというところで、妹から電話が入る。
妹「なんだか、ばあちゃんの心臓止まっちゃったらしいよ」
慌ててばあちゃんの家に行き玄関を空けると…
介護士さんが「はやくはやく!」と言って、中へ案内される。

部屋に入った瞬間、ショックでした…

ばあちゃん、完全に精気のない人形のように横たわっていました…
横で、叔父さんがばあちゃんの腕をさすっている。
ショックで何がなんだか分からなくて…

その日の午前中の調子が良かったので、翌日に大好きなお風呂の手配をかけるほどだったそうです。
それゆえに、少しだけ家の者が外出してしまい、私が到着した時は、叔父さん一人しかいなかった状態でした。

隣で叔父さんが「ばあちゃん、一番好きな雄ちゃん来たぞ!目を覚ませ!」と何度も声を掛けている。
私は、あまりのショックに「ばあちゃん…」と言うだけが精一杯で、声すら張れませんでした…

叔父さんに聞いたら、一度心臓が止まったんだけど、また動き出したらしく、私が到着するほんの数分前に動かなくなったそうです。

唖然としながら、ばあちゃんを見ていると…

口を開けていたばあちゃんの口臭を少し感じました。
あれ?呼吸しているのか?と思って、腕をさすりながら耳を澄ますけど呼吸はしていないようでした。

そして顔を見ると、ばあちゃんの目に涙がわずかに溜まっている。
私は、生きているか確認したくて…
いや、生き返ってくれっ!という気持ちが強く、カミさんにティッシュで涙を拭かせて、また涙が溜まるか見てみた。

しかし…

涙は溜まらなかった…

その辺りで、先生が「そろそろ宜しいですか?」といって、脈を測り、聴診器を当てる…

「15:55、ご臨終です…」みたいなことを言った様な気がします…

あともう少し早く到着していたなら…
意識のあるうちに呼びかけることが出来たら…

悲しさと悔しさがこみ上げてきて…

そんな思いで、ばあちゃんの顔をもう一度見ると…

拭き取ったはずなのに、目に涙が溜まっていました!

ひょっとしたら、私の呼びかけも聞こえていたのかもしれない…
意識はどうか分からないけど、身体は何かしらの反応をしてくれたのかもしれない…
そんな事思ったら…
メチャクチャ泣きたかったけど、メチャクチャ我慢した。
泣いた方が良かったのかもしれない…
でも、メチャクチャ我慢した。
そして、もう一度ばあちゃんの目に溜まった涙を拭いて、目を閉じてあげた。

口は開いたままで逝ってしまったんですが、大して苦しまなかったようで、死に顔も安らかで、呼んだら返事をしそうなほどでした。

その日の夕方、少しだけ雨が降った…
涙雨というやつだろうか…

ということで、この三連休はお通夜と告別式でした。
私の母は入院中でしたが、告別式~火葬の日に外出許可をもらって車椅子で出席することとしました。
母は、ずっとばあちゃんを気にかけていたけど、入院してしまったので最期を見取る事が出来ませんでした。
うちの母親、相当辛かったんじゃないでしょうか…
最初は、母の身体が心配で、通夜も告別式も出席させないつもりでしたが、やはり実の母親の最期を送るのに、私が邪魔をする訳にもいかないと思い直して告別式だけでも参加させたのですが、今はそうして良かったと思います。

骨になったばあちゃんを見た時、数日前まで動いていたあのばあちゃんの肉体がなくなって、こんなに小さなモンになっちまうんだな…って、そう思うとまた泣きたくなった。
しかし、母親の前だし必死にこらえ、母と一緒にお骨を拾う。



しかし早いなぁ、ばあちゃんが亡くなって、もう一週間が過ぎたんだ…



昨年の診断から、ばあちゃんの様態は私の心配のタネであった。
心配のタネは普通ならなくなるのが嬉しいもの。
しかし、ばあちゃんに関しては、心配事の解消=ばあちゃんの死だと分かっていた。
だから、この心配のタネはずっと解決して欲しくなかった。
ずっと心配のタネでおいておきたかった…

しかし…

私の親父が、前に言っていた…
「寝たきりだろうがなんだろうが、ばあちゃんががいるだけで違う、いるだけでありがたい」
一週間経った今、本当にそう思った。

まぁ、いつまでも私がグズッていたら、ばあちゃんも気持ちよく天国に行けないだろう…
私の母の事もあるし、私がしっかりしなければ…



ばあちゃん、今まで可愛がってくれてありがとう!
そして、これからは、天国でじいちゃんと一緒にゆっくり過ごしてください。
あっちには、ばあちゃんの大好きな花が一杯あるでしょう?
もう寝たきりなんてないから、好きなだけいじれるぞ!
良かったなぁ…

ばあちゃん…本当にお疲れ様でした。
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コメント
この記事へのコメント
安らかに・・・。
やだ・・・今日のブログ、かなり泣けちゃいました。
ショックですね。読んでいてつらくなりました。
でも・・・温かさも感じました。
ゆう坊さんが、ブログでおばあさまのことを話題にする度に、おばあさま思いで優しいなぁ・・・と、ずっと思っていました。
こんなに可愛がってもらっていたんですね。
最期の瞬間、目に見えるところでは間に合わなかったのかもしれませんが・・・
本当はきっと、間に合っていたと思います!
ゆう坊さんの声は届いているはずです!
最期の涙は・・・きっとおばあさまからの
「ありがとう」のメッセージじゃないでしょうか。
おばあさま・・・どうぞ安らかにお眠りください!合掌。

ゆう坊さんも、お母さまの入院など・・・
精神的にもきつい状態でしょうけど、頑張る必要のない時は
精一杯、自分のことをいたわってあげてくださいネ。
どうぞお疲れのでませんように。

2007/10/13(Sat) 01:48 | URL  | BYSプランニング 黒木亜美 #-[ 編集]
お疲れ様。
自分の家で、自分の布団の中で眠りにつけたおばあちゃんは
間違いなく幸せだったと思うよ。
でも、残された方は色々考えちゃうよね。
うちのばあちゃんも、去年亡くなったんだけど、
いまだに
「どうしてもっと優しくしてあげられなかったんだろう」とか
「あんなに働きづめで、楽しいことはあったのか」なんて
考え始めると、涙が出てくるよ。

ばあちゃんが亡くなって、
初めてその存在の大きさに気づかされた。
情けないけど・・・

これからでもできるばあちゃん孝行は、
  「精一杯生きること。」
私たちにも必ずやってくるその日まで
前を向いて、お互いにがんばろう!



2007/10/13(Sat) 17:05 | URL  | 東の横綱 #-[ 編集]
湿っぽい話で済みません…
>黒木さん
コメントありがとうございます。
そうですよね?私も最期は看取れたと思うようにしています(笑)。
最期に「ハァ~」って息を吐いて何か言うとしたのか、涙は何かの意思表示だったと思っています。
正直言うと、まだぽっかり気持ちに穴が空いたようで…
まぁ、残されたものは前に行くしかないんですから、なるようになるでしょう!
大丈夫!元気ですから!

>横綱
コメントサンキュー!
そういえば、横綱のばあちゃんは去年なくなってんだよな。
一緒に住んでいたから、そりゃぁ色々思うところはあるよね。
まぁ、順番と言えばそうなんだけど、不器用な私はなかなか割り切れなくてね…
残された者は、色々大変だぁ…
お袋の体のこともあるし、背負うモンが増えてきちゃったねぇ…
そんな年なんだろうな…

で、飲み会いつにする?
この前、7/11の看板娘にあって、飲み会やろうって言っといたぜ!
まぁ、お互い落ち着いたらやね。
2007/10/14(Sun) 00:51 | URL  | ゆう坊 #-[ 編集]
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