武道家FP GUNちゃんの“家計の護身術”ブログ
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2006年06月04日 (日) | 編集 |
洋画家、和田義彦氏、イタリア人画家、アルベルト・スギ氏の作品の盗作疑惑
 
最近では、「共同制作」がどうのこうのと揉めている。
真偽の程は現在のところ分からないが、頭の悪い話である。
 
これにおいて、もう一つ頭の悪いというか、お粗末な事がある。
この盗作疑惑の作品数点が、賞を与えられているということである。
 
まぁ、スギ様がどれだけの画家なのかは、学のない私には分からないし、審査員が知る良しも無いほど無名な画家なのかどうかも私には分からない…
ただ、審査員はそういう事も知らずに審査していた訳である。
 
う~ん、「人の評価なんて所詮こんなもの」と思ってもしまう。
 
世の中の多くの人々は「人に評価をされたい」「人の評価を受けることに喜びを感じる」のではないかと思う。
私もそうである。
 
それ故に、認めてもらうことに必死になってしまい、いつの間にか、自己保身に時間と労力を使うようになってしまう事はないだろうか…?
行き過ぎるとこれはもったいない事だと思う。
 
何故なら、「評価を得たくて、人の為に頑張る…」と思っていた事が「評価を得たくて、自分を悪く見せたくない…」と、逆の思考・言動を誘発してしまうのである。
 
となると、人に対して優しくなれず、自分の事しか見えなくなってしまう。
私もそういう時期があったし(今もかな?)、周りにもそう言う方々を見かけることがある。
 
そして、こういう人達は必ず言うセリフがある。
「私は、実力相応に認めてもらっていない」
と…
 
私に言わせれば、「認めてもらっていない」と言う者ほど、認めてもらうほどの事はしていない。
 
その理由は、先に書いたように、評価を得たいが為に、いつの間にか自己保身にはしり、他に何も与えない状態になってしまうからである。
一緒に頑張っている仲間達の事が眼中に入らなくなっているのである。
 
そして、「認めてもらっていない」と他を非難するものは、大概にして、自分も近しいものから、「あの人は、私を正当に評価をしてくれていない」と、そう思われているはずである。
他を認める意識のないものが、人から認めてもらおうなんて、虫の良すぎる事この上ない!
そういう者ほど、自己保身が過ぎて、無駄なネゴや策略を施して、自滅するのがオチである。
 
他を攻撃する前に、自己を振り返ってもらいたいものなのだが、そうもいかない…感情とはこういう時には厄介なものだ。
 
その時に本人に話をしても「そんな事はない!」と言う返事が必ず返ってくるが、そう言う方々に接した時、私は昔のように説得はしない。
話して分かる人を見るための投げかけなので、先の返事があった時点で、「この方には話をしても仕方がない」と判断をする。
それで「ふ~ん、それじゃ納得いかないねぇ!」などと言って話を流す。
  
仕事でも人付き合いでも、ある程度のレベルに来ると会話の中にこういう「リトマス試験紙」を仕込んでくる。
私も、気付かずに評価をされている事と思う…
そう言う意味でも大人の世界とは怖い。
 
こうなると、私に出来る事は「気が付くまでは、辛い人生を送るだろうなぁ…」と、心の中で「合掌」するのみである…(笑)
 
すこし話が脱線してしまったかもしれないが…
 
最初に書いた「盗作疑惑」の審査員達同様、人の評価などと言うものはこのレベルで、大して気にするものではなのだと思う。
 
人の評価を完全否定してしまっては、私の仕事は全く成り立たなくなってしまうので、「人の評価は無意味だ!」とは言わない。
ここで言いたいのは、過剰に人の評価を気にし過ぎると、逆に「盲目」になってしまうぞ!と言うことである。
 
ある部分では、「人の評価なんて所詮こんなもの!」と笑い飛ばせるくらいの気持ちで多くの事にチャレンジをしていきたいと思っているのである。
 
前に勤めていた会社での話だが…
長くなったので、また明日。
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